文章中毒になる。

 こんにちは。

やたら書きたい日々

 本日もやってきました。このところ、やたら書いています。

 仕事のほうでもひたすら文章を書いています。またそれが苦にならない。もっと書きたい、もっと仕事くれ状態です。

 どうやら文章中毒になったようです。

 書くことにやたらハマっているので、厳密に言えば、執筆中毒でしょうか。

 一晩中、ブログやら仕事の記事やら書いてしまうことがありました。

 私はもともと、徹夜というものができない人間で、徹夜(文字通りの徹夜。完徹とも言う)したのは人生でこれまで1度きり。文芸部だった高校時代、部誌に載せる小説の締め切り前夜のことでした。考えてみればこれもひたすら文章書いてる。

 ただこの時は、そうせざるを得ない状況だった、ということです。

 でも最近してしまった2度目の徹夜、これは完全に趣味というか。自分の意思で徹夜しました。

 いや、意思とも違うような。寝なくてはいけない、とわかっているのに、寝よう寝ようと思っているのに、書くことがやめられない。なんだかぼんやりと、なにかに動かされるように、ひたすら書いているのです。

 

躁なのか?

 書く職業なら、それがいいことなのかもしれません。でも、自分が病気だと考えると、あまりいいことではないような気がします。

 躁というのをご存知でしょうか。やたらと気分が明るかったり、高ぶっていたり、自信に満ち溢れていたり。鬱の逆の状態といったところでしょうか。

 これだけ聞くと、いいように思えるんですが、まぁそんなわけもなく。振り切ってしまってるので”異常”なんですよね。また明るくなるだけでなくて、攻撃的になったり、イライラしたりというのも含まれます。

 この躁というやつの中に、アイディアがあふれ出てくるというのもありまして、そんなんなれたらいいよなぁ、なんて思ってしまってたわけですが。今の状態がそれに近いのかなと。

 とにかく書きたい。書きたいことが出てくる。うーん、躁かなぁ。

 また饒舌になるというのも症状のひとつなので、それの関係かもしれません。

 

躁のコワさはジェットコースターっぽい

 躁の本当の恐ろしさは、その後にあります。

 鬱の状態から、躁に変わることを「躁転」と呼びますが、その逆もしかり。

 躁からまた鬱に戻るのです。

 この戻った時がヤバい。

 ジェットコースターと同じです。高いところに上がれば上がるほど、高低差は広がります。ちょっとしか上がらないで落ちるものと、ものすごーく上がってから落ちるもの。当然ながら、ものすごーく上がった方が怖いですよね。でも落下後の場所は同じ。

 そう、鬱の中で少し上下するよりも、躁状態から一気に鬱状態になった方がコワイのです。同じ程度の鬱状態なのに、感じ方が違うのです。

 ゆるゆると鬱に戻るならまだいいんですが、だいたい一気に行きます。本当にジェットコースターのように。

 ジェットコースターと違うのは、頂点がどこかわからないということです。大体のジェットコースターは、あぁあそこがてっぺんだ、もうすぐ落ちるぞ、とわかります。そこで心構えができます。が、躁の場合、どこが頂点かわからず、ぐんぐん上がります。上がらずとも高い位置を保ち続けます。で、先が見えない。あれ? と思った時にはもう、がくーんと落ちているのです。

 ね、躁ってコワイでしょ。

 

でも書きたい

 でも文章を書くのは好きなんです。もともと。

 だからずっと書いてたいんです。

 鬱の状態になるとね、書けないんですよ。本当に。

 書く気力も湧かないし、書く内容も思い浮かばない。

 だから今の状態がとてもよく思えちゃうんですよね。こんなに書けるのは久々なので。

 でも我慢しなくちゃいけない。きっと。

 

 なんだかテンションがヘンな気がします。

 夜もうまく寝れず。

 なるべく調子に乗らないように、おとなしく過ごすことにします。