生きるということ。死ぬということ。

 こんばんは。

 生きることって何でしょうか。死ぬことって何でしょうか。

 心臓が動き、体に血が巡る、よって人を含む動物は生きている。

 逆に心臓が止まり、血が巡らなくなった時、動物は死ぬ。

 生きている”状態”、死んでいる”状態”は、こういうことだと思います。

 でも、生きるということ、死ぬということは、また別なのではないかと思います。

 

 私は度々、死を望みます。死にたいという気持ちであふれかえることがあります。

 本当に心臓を息の根を止めようとすることもありますが、時々、死にたい=生きていたくない、という場合があります。

 心臓の動きを止めたいのではなくて、生きるということをやめたいと思うのです。

 それって一緒じゃないの? と思うかもしれません。でも違うのです。

 生きたくない。でも死にたくもない。だけど生きるの反対は死。だから死にたいと言う。

 人の命というのは、生きるか死ぬかしかありません。その中間は存在しません。

 でもできることならば、その中間を選び取りたい。あるいは、生きるでも死ぬでもない何かの状態になりたい。

 死は恐ろしいものです。死んだらすべてが終わります。死後の世界がない限り。誰にも会えないし、何もしゃべれないし、何も考えることができない。というか、自分という存在がなくなってしまいます。

 そんな死は避けたい。でも生きていたくない。なぜ? つらいから。苦しいから。何もできない自分を不甲斐無く思い、他者からの攻撃に耐えられなくなる。なぜ生きているかもわからなくなる。

 だから生きていたくない。でも死にたくもない。そんなわがままは通じず、生きるか死ぬかの選択を迫られます。

 生きていることが本当に苦しいから、嫌だから、その反対の「死にたい」を思う。でもその死にたいは、文字通りの死にたいではないのです。

 ややこしいですよね。面倒くさいです。

 

 もちろん、本当の意味での「死にたい」になることもあります。死が憧れに、心地よいものに思えることもあります。

 そうなると、非常にまずい状態です。実際に自殺を試みようとし始めるので。

 

 あなたの周りに、「死にたい」と口にする人はいますか。

 その人の「死にたい」の意味をあなたは理解できるでしょうか。

 もし文字通りの意味ではない「死にたい」の場合、本当は「生きたい」が混じっています。

 生きたいけれど、何かがとても邪魔をしていて、どうにも苦痛でしかたがない。前に進むことができない。痛くて痛くて仕方がないから、それから逃れたくて「死にたい」と言うしかない。

 そんな「死にたい」に対して、「死んじゃだめだよ」と言うより、なぜ死にたいのか、その理由を訊いた方がいいかもしれません。

 生きることを邪魔している何かを解決する。それが文字通りの意味ではない「死にたい」を止める方法です。

 

 ではもし文字通りの「死にたい」だったら……。私はこれの解決方法を知りません。

 本当の意味での「死にたい」をどうやって止めればいいのでしょう。

 その人はもう、生きることに絶望しているのです。死ぬことに希望を見出しているのです。

 命の尊さとか、周りの人の気持ちとか、そんなものを諭しても無駄なことです。

 「生きていればいいことがあるよ」? そんないつ起こるかわからない曖昧な”いいこと”を待っていられるほど、もう余力はありません。

 「死んじゃったらもう何もできないよ」? それを望んでいるのです。

 「君が死んだら悲しむ人がいる」? では他人が悲しまないために、自分が苦しみ続けろと。

 「死んだら迷惑だ」? それも承知で死にたいのです。

 文字通りの「死にたい」は、追い詰められた状態です。自分ですでに、死なないための方法や死んではいけない理由をひとつひとつ検証していって、それでもなお死を選んだということです。

 そんな人に、いったいどんな言葉が届くというのでしょうか。

 本気で死にたいと思ったことがある私でも、それはわかりません。

 

 ではなぜ、そんな私は生きているのでしょうか。

 私が本気で死にたくなる原因の一つは、鬱という病です。

 この鬱というやつにはどうやら波があるようで、その”死にたい”波が引くまで、なんとか生き延びられれば、そのあとも死なずに済みます。

 本当にそこを耐えきれるかどうか。時間との勝負です。

 なので、病で文字通りの「死にたい」と言っている場合には、とにかく全力で引き留める、しかないのかもしれません。

 

 ただ、この”死にたい”は、1度で終わるものではありません。

 時間をおいて、何度も何度も襲ってきます。しばらくなくっても、ある日突然やってくることもあります。

 それを長年繰り返していると、今度はそれが嫌で死にたくなります。

 鬱が引き起こす”死にたい”は、自分の本心の”死にたい”ではなかったかもしれない。病気だから”死にたい”と思ってしまうのかもしれない。でもそれが何度も何度も、繰り返しやってくると、本当に死にたくなるのです。それに疲れてしまうのです。

 私が今「死にたい」といった場合、その理由は「何度も”死にたい”がやってくるから」の可能性が非常に高いです。

 本当の本当に、これをどうにかする方法はないのでしょうか。

 おそらく、鬱の治療を根気よく続けていくしかないのでしょう。なんとかして、自分を騙し騙しやっていくしかないのでしょう。

 

 生きることって何でしょう。

 今の私には、「死んでいない状態」というイメージしかありません。

 生きている実感というのがありません。

 今日も明日も、死なないでいくことでしょう。

 生きるって何でしょうか。